
下北沢の住宅街をひとり散歩。
小さい公園を見つけたので、久しぶりに足を踏み入れてみる。
公園って、最近行ってないなぁ。
こじんまりしているけど、ちゃんと公衆トイレもある。
その壁に「コアラ」のマーク。
このマークさ、ずっと思っていたんだけど、「コアラ」ってことでいいんだよね…?
ここはとあるデザイン事務所。
ピクトグラム系のデザインを得意としていて、手堅い行政からの仕事も最近増えてきた。
この事務所のヘッドデザイナー、上沼 涼。
彼はここのところ東京都から依頼された「公衆トイレ」のマークの制作に頭を悩ませている。
「トイレはトイレなんだけど、なんかなぁ…なんか、エモーショナルじゃないんだよ…。
こう、見た人の心をグッと掴むようなエモーションが…。」
そう言って、洋式トイレが簡潔に表現されたマークを、かれこれ3日以上見つめている。
突然、彼のプライベートの電話が鳴った。
「…はい。」
それは付き合って11年になる彼女からだった。
看護婦である彼女とは、休みも合わず基本的に別行動。
何度もすれ違いを繰り返しながら、なんとかここまでやってきた。
そして、2人はついに、来月結婚するのだ。
「どうした?」
「涼ちゃん…あの、今大丈夫?」
「あぁ。」
「あの…ね、すごく…すごく言いにくいんだけどね…。」
なんだ、少し泣いている…?
「あたし…あたしね、涼ちゃんと…け、結婚できない。」
「……え、ちょ…っと待て、いや、全然意味わかんねーんだけど…。」
「……す、好きな人がいるの……」
…シャンシャンシャンチャカツーンチャーーーーン
(ここで間髪入れずにエンディングテーマのイントロ入ります。)
その後、涼は彼女と電話を続けた。
2時間以上、説得を続けたのだ。
とにかく、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
とにかく、一度会って話したかった。
が、それは叶わなかった。
電話を切って、机の上に崩れ落ちた。
頭は真っ白だった。
当たり前に、そこにいた彼女。
ずっとそこにいると思っていた彼女。
このぐちゃぐちゃにこんがらがった感情をどこにぶつけたらいいか、わからなかった。
両方の目から勝手に溢れてくる涙。
そのしずくが
机の上にあったトイレのマークに
落ちた。
こうして、公衆トイレのマークはついに出来上がった。
彼の悲しみの感情(エモーション)をたたえたしずくをもって、完成したのだ。
巷では、
「コアラに似てる!」
「可愛いよねー!」
なんて言われているが、
この悲しいエピソードを知っている人は
公衆トイレの前を通るたび、
静かに心を痛めるのであった。
なんていう、バックストーリーを想像してみる。
そんな、ひとりの夜。